晴れたら
くずれる。
そんな天気を
1日交互に繰り返している気がします。
札幌です。
子どものころ
家のおにぎりは
まんまるでした。
梅、たらこ、おかか
筋子なんか入ってるときは
かなりテンション上がりました。
まんまるで
しっかり握られていて頑丈で
海苔がぴったりくるまっている。
しっとりとした海苔。
ひらたいまるいボールのようなね。
友だちの家の
おにぎりをもらったとき
中身がツナマヨで
それは初めてのことで
こんなうまいもんがあるかと驚いた。
あれは小2くらいだったはず。
大ちゃんち、すげー。
カルチャーショックみたいなものだった。
もっと小さいとき
小学校入る前くらいかな
母が風邪で寝込んで
なにかつくってあげたいと思って
自分にもできるだろうと選んだのが
おにぎりだった。
でも、どうつくっていいか
見よう見まねの記憶でやってみたものの
びちゃびちゃになって
中身は、冷蔵庫にあった
ごはんですよを入れてみて
自信のない出来栄えだった。
それを食べた母は
まずい!と言った。
ひいき目に見ようと思ったけど
無理だったのかもしれない。
おにぎりをつくって
元気になってほしいという
ぼくの気持ちは叶えられなかった。
かなしいより
なんかごめんのほうが強かったと思う。
もしかしたら
そこから
ぼくは料理に興味を持ったのかもしれない。
たぶん、そう思う。
どうしたら
おいしいって言ってもらえるだろう。
料理は、元気がでるもの
愛情が伝わるもの
そう認識していたんだと思う。
それは、母から受け取ったものだ。
あのとき
おいしいねって
気遣われていたら
料理に興味を持たなかったかもしれない。
大げさかもしれないけれど
人の特性は、
そんなことでつくられていく。
かなしみでくくった出来事に
大切なものが隠れている。
それは
誰のものでもなく
自分だけの味わいとして
尊いものだと思う。
ため息でも
深呼吸でもない
名付けてしまう前の
吐息のような感情を
そっと知りたいと思う。
最近は
セイコーマートの
おにぎりで
サバが入ってるのが好きです。
今日もごきげんでありましょう。
FROM FRONT フロントより