FROM FRONT フロントより

お正月気分が
薄味だったせいか
いまさらでも
お正月気分を味わいたい。

お正月も明けなくてはいけないという
そんな決まりはないはず。たぶんきっと。
なんなら、
1年中お正月気分でもいいんじゃないか。
そんなこと考えるせいか
やたらと、おもちを食べたくなっています。

三が日のあいだ
食欲がないなか
お雑煮をつくって食べたときの
あ、おもちは食べられる
お、おもちおいしいの感覚が
脳に残っているのかもしれない。
あと、
ひきわり納豆に大根をおろしをからめる
納豆もちをしていないのも
気がかりになっているのだろう。
なにかやり残している感じ。
あ、海苔もちもしていなかった。
そうか、雑煮だけだったんだ。
それは
満たされていないのも当然じゃないか。
お正月というより
おもち欲が満たされていないんだ。これは。

というか、
おもちが好きだったんだ。
人なみというか
べつに嫌いではないくらいの感覚だったけど
ぼくは
おもち好きだったんだ。
こうして
気づいてみると
けっこう好きなほうだ。

子どものころ
「もちっこ」っていう
もちつきマシーンで
つきたてのおもちを食べていた。
納豆と大根おろしをあえた器に
アツアツのおもちをちぎって
入れてくれるのは父親の役目だった。
親鳥がひなに餌をあげるような
せわしないくらいなんだけど
あのときの幸福感が
おもちの印象とつながっている。
それがぼくを
おもち好きにさせたのかもしれないなあ。

自分はというと
猫手なんじゃないかと思うくらい
熱いものをさわれないので
父親のやっていた役割はできないだろう。
器を両手に持って
はやくぼくにもおかわりほしいと
待ち構えている子どもの自分を想い出す。
ひいき目にみても
かなり、かわいいと思う。

食から得た
幸福感や愛情って
かなり自分の心に
大きな影響を与えているんだね。
そうかそうか。
そりゃそうか。
よしよし。

今日もごきげんでありましょう。