COLUMN コラム

●Vol.0001【わかりやすさ】について

◎ニツイテ 0001
「ニツイテ」とは、いろんな事柄についての考察をまとめたコラムです

銭湯での出来事。洗い場で隣の親子、すこし騒がしい。お父さんが息子に「じゃばあしないで」と言っている。シャワーが自分や他人にかかってしまうことを注意しているのだけれど、小さな子には通じていないようで、何度も「じゃばあしないで」の言葉を耳にする。

じゃばあしないで──。

推測するに、この言葉だけでは、父親が意図する目的は達成されない。「じゃばあ」とは、お湯がかかってしまった状態に当てはまる。それは、子どもに伝わるように言っている(つもり)だと思うけれど、お湯がかかってしまった状態、つまりは望まない結果を否定しているだけだ。子どもには、なぜ「じゃばあ」してはいけないのか、どうして「じゃばあ」となるのかは理解できていない。わかりやすく言っている「つもり」が、実は意図を伝わりにくくしているケースだと思う。この「つもり」がやっかいなんだ。

「じゃばあしないで」と、何度も繰り返し口にするお父さんは、自分の言うことを聞かない子どもに少し苛立っているようだった。わかりやすく伝えたつもりでいるのは自分だけで、伝わってないのだからしょうがない。しかし、わかりやすく伝えたつもりの者はそのことに気づかない。

「子どもだから」と、わかりやすく、かみくだく要素を間違えたんじゃないだろうか。それは、子どもに対する想像力の浅さである。知らず知らず、かつ、だいたいで決めつけている。これは、相手が子どもに限らず、やりがちかもしれない。

ついでに言うと「じゃばあ」の語感には、楽しさも含まれていると思う。今、口に出してみてほしい。自ずと楽しげになるはずだ。さらには、自宅の浴室で、お湯をかけあっこしたことがあって、そのときにも「じゃばあ」って言っていたかもしれない。ありうるありふる。そうであれば、「じゃばあしないで」は、ますます伝わりにくい。

もしかしたら、まだシャワーを使いこなすには早かったのかもしれない。事前に、シャワーヘッドの持ち方や、その角度によるお湯の放たれる方向を教える。もしくは、洗面器でお湯のかけ流し方を体験させてから、シャワーへとステップアップしていくのもありだと思う。

「子どもだから」こそ、「わかりやすさ」と「拙さ」を勘違いしてはいけない。自分の意図が伝わっていないとき、相手のせいにするのではなく、なぜ伝わっていないのかを考えると、そこにヒントが見えてくると思う。