FROM FRONT フロントより

何回もおなじはなしする。

自分のくせのひとつです。
自分のくせは
けっこう気づかないもので
それもそのはず
自分が無意識にやっているわけです。

何回もおなじはなしをするのは
お年頃という名の加齢によるものでもなく
どうやら子どものころからそうかもです。

何回も言いたい。
何回も聞いてほしい(できれば)。
という気持ちのあらわれかもしれません。

ぼく自身は
おじいちゃんこだったので
同じはなしをされる機会が多く
それは嫌じゃなかったぜんぜん。
フレッシュな顔で話すので
フレッシュな顔で聞こうと思った。

聞いたことがあるなら
言ってほしいという意見もある。
それも間違っていない。

はなくそがついている。

それを本人に言えるか?
という想定の話題がよくあるよね。
あれもおなじで
本人に伝えるのが優しさだとしたら
大勢のいる前で宣告するのか
タイミングをみて
そっと伝えるのかで
大きく違うと思うんです。
なにが正解かというより
その人に合わせて
もし間違っているかもしれくても
思いをよせるその想像力に
優しさがあるんじゃないかな。

正解より、最善を模索する想像力。
なんかかたいいいまわしになったけど
その力はガチガチの筋肉でできていて
やわらかあくボールを放てるのだと思う。

何回もおなじはなしをするぼくは
またそのはなしとさえぎられると
もしかしたら悲しかったのかもしれない。
だけど、それは
言われてしょうがないことだから
納得していた。させていたと思う。

本人がきづいていないことは
ちょうどいい時に
教えてくれると
うれしいのもわかった。
そういえば、そのはなし
けっこうするねみたいに
問いかけたら
会話がはじまって
何度もはなす理由が見えてくる。

まずは聞いてくれる。
それは些細なことかもしれないけど
その優しさは安心につながる。
ふわっふわっとした毛布みたいな
そっと敷いてくれるようなそれは
とても心強い。
つまずいても転んでも
優しくくるんでくれる。
そして、そっとそこにある。
見えなくても
見えなくなったとしても。いつも。

ぼくも
そうありたいと思います。
今日もごきげんでありましょう。