明日死ぬつもりで
今日を生きよう
みたいな言葉を見かけまして。
お寺の前にあるメッセージのやつです。
あれけっこう見ちゃいますよね。
悔いのないように生きるのは
それはたしかに大切なことだと思います。
明日死んでも後悔ない生き方は
なかなかハードな心構えだなとも思います。
立派。
たしかにそれはいいだろうと思う一方で
どこかそれほど羨ましくない。
自分にできるできないはさておき
それがふさわしいとも思わないのです。
後悔なんてくそほどある。
そいつを包み込んで笑ってるほうが
生きてるって感じがしないかな。
ミスをしないように必死になるより
ミスはあるものとして
ミスを受け止めフォローして
前に進むほうが健全だとも思う。
生き死にのはなしを出すと
ちょっと大袈裟になるのかもしれない。
その大袈裟というのは
意地悪なことを言うと
伝える側のかっこつけみたいな匂い。
でもまあ
いつ死んでも後悔のない人には
もうすでに後悔の概念がない気がします。
ぼくはもういつだって
どこまでもジタバタしますよ。
お寺に掲げる言葉は
さかなクンが担当してくれないかな。
今日もごきげんでありましょう。
FROM FRONT フロントより